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馬の起原

プルツバルスキー・ウマ ウマ(馬)

プルツバルスキー・ウマ
 
 
馬の起原と思われる動物の化石は、ヨーロッパ、アジア、アフリカにもみられますが、アメリカから多く発掘されています。およそ、今から300万年前と思われる地質学上、第3紀層の初期において、すでにみいだされています。
 
 
そして、この極初期の動物は、体高25~50cmで、頭頸が短く背が著しく凸彎し、四肢が短く、キツネくらいの体格のもので、現在の馬とは異なり、前肢に4趾、後肢に3趾をもっていたらしいことが推測されています。
 
 
これは、北アメリカから発掘されたものも、それより少し新しい時代のものと思われるヨーロッパから出土されたものも同様です。
 
 
このような小さなものが、漸次進化して現在の馬属が生じたことも化石から推察されています。そして、そのおのおのの時期のものには、次に示すような名がつけられています。北アメリカからのものとヨーロッパからのものとにより、同じ時期のものでも、つけた名が異なっています。
 
 
極初期のEohippusから、現代の、Equusに至る形態学上の大きな変化は、趾の数が4本から3本となり、1本となったこと、体格の漸次大きくなり、四肢も長大となったこと、臼歯の咀嚼面の凸凹が複雑化したことなどです。
 
 
前肢に比し後肢のほうが早く変化し進化しました。
 
 
これらの主な変化をまとめて表示すれば、つぎのようなになります。
 
 

●Eohippus
体格:キツネ大
趾:4本


●Orohippus
体格:キツネより少し大
趾:4本、ただし跗前骨は退化


●Mesohippus
●Miohippus
(Anchitheriun)
体格:ヒツジ大、肢長が伸び、頭頸も長くなる。
趾:前後肢とも3本、中趾・長大となる、3趾で地をふむ。


●Protohippus
(Hipparion)
体格:ロバ大、体高1mに近い
趾:3趾、中趾だけ地につく


●Pliohippus
体格:現代の馬に近い、体高1m以上
趾:現代の馬とほぼ同様


●Equus
体格:現代の馬と同じ
趾:現代の馬と同じ

 
 
このように体型が変化し、進化したのはなぜでしょうか?北アメリカ、ことにその西部では、第3紀初期は、土地が現在のように隆起していないで、湿地であり、気候も暑く森林も繁茂していました。
 
 
そしてそのころの馬の祖先は柔らかい樹葉が主食でした。しかも沼地なので4趾のような多趾が都合よく、歯も簡単なものでよかった。
 
 
ところがその後、土地が隆起し、気候は寒くなり、乾燥し、森林は減って草原となりました。馬は広野にすむために、体も大きくなり、速く走るために趾は1つとなり硬い雑草を食うために歯の咀嚼面は臼状になりました。
 
 
馬の進化に伴う体型の変化については大体以上のような解釈がなされています。したがって馬の場合は進化と家畜化とが並行して行われたことになります。
 
 
なお地球上に人類が現れたころには、アメリカとヨーロッパにおける馬の祖先はすでに絶滅し、一時これはアジアとアフリカに残存していました。
 
 
ことに中央アジアの地域から現在の家畜としての馬の発端が生じたと考えられています。すなわち、その付近で野生馬をならして現在の馬ができたとされています。
 
 
その野生馬に、もっとも近い体型をしているものとしてソ連(現ロシア)の探検家プルツバルスキー(PRZEWALSKI)が西蒙古・ツンガリア(Zungaria)沙漠で発見した、いわゆるプルツバルスキー・ウマ(Equus przewalski)があげられています。
 
 
このように現在の馬の祖先は、アジアに発していますが、ヨーロッパにも人類の西漸につれ、石器時代にすでに馬が入っていたらしい。
 
 
アメリカはこれらよりも、もう少し後世に移入されたものと思われています。もっとも野生馬の存在は、世界各地において報告されています。
 
 
例えば、ロシアや中央アジアにおけるタルパン・ウマ(Tarpan)、メキシコのムスタング・ウマ(Mustang)、南アメリカのシメロン・ウマ(Cimarone)などです。
 
 
これらは、一度家畜となったものが放たれて、ふたたび野に帰ったもので、再野生馬(Feral horse)または還元野生馬といわれているものです。
 
 
したがってこれらは純粋の野生馬といわれているプルツバルスキー・ウマとは、野生馬といっても意味が違うものです。ただし、近年の研究によりタルパン・ウマは真の野生馬といわれています。
 
 
なお、これらの野生馬または再野生馬をその棲息地別に、草原型(Steppe form)、高原型(Plateau form)、森林型(Wood form)の3系統に分け、各系統と現存のものとの関係をつぎのごとく結付けている学者もある(FRANK)。
 
 

⑴草原型
 
 
プルツバルスキー・ウマがこれに属し、この代表的な家畜馬は蒙古・ウマ(Equus ferus)です。
 
 
⑵高原型
 
 
タルパン・ウマがこれに属します。これは1766年グリメン(GMELIN)によって報告され、当時は南ロシアにかなり多数残存していたらしいです。そのころは再野生馬ということで、その価値も認められず、その上、開墾地などを荒らしたため、1879年、完全に撲滅させられました。
 
 
近年、再野生馬でなく真の野生馬という説が強くなり、Equus caballus gmeliniという学名が与えられました。この系統に属する現在の家畜馬の代表的なものは、アラブを代表するアラビア・ウマです。
 
 
⑶森林型
 
 
氷河期が終わり、各地に森林ができるころから、ヨーロッパ、アジア、アフリカの森林地帯に広く拡がった馬属で、比較的恵まれた環境に育った大型のものです。
 
 
現在の重種系の成立に関係したものでしょう。オーストリア産のピンツガワー(Pinzg-auer)やベルギー・ウマはこの代表的なものです。

 
 

日本における歴史

 
 
本邦ではまだ遺骨が発見されていないので、太古には馬はいなかったらしい。しかし、熱田その他多くの貝塚から馬の肢骨や歯が発見されているので、新石器時代(B.C.10.000?-200)に馬のいたことは明らかです。
 
 
これらは出水(鹿児島県出水市)から出土した例からみると、体格は現在南方の島にいる小格馬に近いし、平井鴨居(長野県塩尻市)からの出土例によると体格は中格馬に近いようです。
 
 
これら相互の関係や各々の渡来経路などについては不明です。これらは、新石器時代の極末期(B.C.200)ごろに、最初の乗用馬として入った家畜馬とみられ、乗馬に秀でたシベリア方面の民族から、千島または樺太を経るか、朝鮮を経て入ったと考えられています。
 
 
系統的には蒙古・ウマとの交雑もあったかも知れませんが、タルパン系のものと考えられ、現在の北海道土産馬や木曽馬などは、これに属するといわれています。
 
 
古く応神天皇のときに百済から貢馬があり、それを飼育した歴史があります。
 
 
その時既に、放牧・舎飼の別ができていました。顕宗天皇(485~487)より欽明天皇(539~571)のころにかけて国内の馬の頭数はかなり多かったらしく、甲斐、月向などの馬産地ができていました。
 
 
そして駅伝の制度も漸次できつつありました。天智天皇(661~671)は諸国に牧を設けて、軍馬育成を奨励しました。天武天皇(673~686)は騎兵の制を作りました。
 
 
また奈良時代には厩牧令の発令があり、馬のこと、すべてがその法令により取扱われました。平安朝に入り、馬に関する法令はさらに完備されました。
 
 
当時はすでに馬産地は関東、東北地方に移っていました。藤原時代には馬の飼養管理に関するさらに詳細な規定が設けられています。
 
 
朱雀天皇(930~946)のとき競馬が始まっています。
 
 
有名な京都の加茂の競馬は白河天皇(1072~1086)の時に始まりました。合戦にも騎馬戦が多く行われるようになり、軍用馬の生産が増しました。
 
 
鎌倉時代には武家の勢力が強く、尚武的な馬を使っての武技も発達し、名騎士、名伯楽も出ました。室町時代以来、外国種の輸入があり、蒙古・ウマやアラビア・ウマが入りました。
 
 
足利時代をへて戦国時代になり、このころは鉄砲の渡来などもあって、直接馬に乗っての戦は寧ろ少なくなりました。徳川時代に入り天下泰平となり、一時馬産は衰微しましたが、1部地方では馬産に注目され、優良馬の生産も行われました。
 
 
特に東北地方や九州での馬産が盛んでした。徳川時代の末期にはオランダ人を介して東洋種および西洋種を輸入しています。徳川家茂の慶応3年(1867)に、フランスのナポレオン3世から雌雄計26頭のアラブ種馬の寄贈をえています。
 
 
もっとも、これを改良に役立てることはしなかったらしいです。明治維新後は、西洋の大型馬がかなり輸入され、軍馬の要求もあって農林省も大いに力を入れ在来馬の改良が進みました。
 
 
軍馬が不要になった今日は、日本農業にあう農馬として改良が進められました。
 
 

品種の分類法

 
 
用途により乗用馬、競走馬、輓馬、駄馬などと分類されます。乗用馬と輓馬とをさらに軽と重の2つに細別することもあります。また用役に服する場合の歩様から駈歩馬、速歩馬、常歩馬に分けることもあります。
 
 
またその系統の内容により、軽種、中間種、重種などに分けられます。
 
 
本邦では、ふつうこの分類法をとります。軽種というのは乗用馬およびその系統のものであり、重種というのは輓馬およびその系統のものです。
 
 
中間種は両者の混血により生じたものを指しています。また、軽種のことを温血種、重種のことを冷血種といったこともあります。
 
 
これは、挙動、性質の軽快さ、あるいは鈍重さからうける感じを表現した言葉で、もちろん馬の血液の温度を表したものではありません。
 
 
さらに発祥地により東洋種(Eq.orientalis)(または南方種)と西洋種(Eq.nobustus)(または北方種)とに大きく分けることがあります。
 
 
前者は軽種、後者は重種のことです。また、軽種のうちのアラブとサラブレッドに限り、これを純血種といい、これに対し中間種を半血種といったこともあります。
 
 
純血種とは血統の純正なもの、半血種とは、その交配によってできたものという意でしょう。なお、体格のとくに矮小なものを総称してポニー(Pony)といっています。
 
 
また体型によって馬を正方形馬、長方形馬および高方形馬に分けた学者(DUERST,1922)もあります。正方形馬は体高と体長との差が1cm以内のもの。長方形馬は体長が体高より1cm以上ながいもの、高方形馬は体高が体長より1cm以上高いものです。

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